橋上秀樹
      
      
        
        
          
            | 講師名 | 
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      ◎演 題
      「プロ野球最強コーチの『組織と人を動かす』言葉」 
「教えすぎるな、根気強く見守れ、耳を傾けろ!??」 
名将・野村克也のヘッドコーチとして、原辰徳の政権を支え、2018年には西武ライオンズの10年ぶりリーグ優勝に貢献した最強コーチ。これまでに培った組織を強くする、選手の才能を育てるノウハウをすべて明かします。楽天、巨人、西武など個々の選手との指導の現場、日本シリーズ、日本代表など、人と組織を動かす言葉の強さは、ビジネスの現場にも応用できる。 
  
「一流になる人材、二流で終わる人材 ~名監督の参謀、各チームの戦略コーチとして見て来た条件~」 
 
「強い組織、弱い組織の違い~名監督の参謀、各チームの戦略コーチとして見て来た条件~」 
 
「選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」
「野村の授業 人生を変える『監督ミーティング』弱小集団を変えた育成
「野村の授業 人生を変える『監督ミーティング』弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則」  
・野球という競技 
・野球との出会い 
・プロでの苦悩や努力するにあたってのモチベーションとは? 
・引退し、選手という立場からコーチへと転身。「コーチ」という役割とは? 
・コーチとなり、選手との関係。 
・野村監督の「ミーティング術」とは? 
・なぜ、他球団の監督と野村監督は違うのか? 
・監督独自の組織論、リーダー観、育成術、人生哲学 etc...とは? 
・選手たちに繰り返し説き、弱小集団を変えたものとは? 
・12年間にわたって、野村監督の教えを受けてきた自身の影響とは?
「そのとき野村が考えていたこと~野球論、人材育成・組織術~/ 野村再生工場~」 
 ・監督「野村克也」という人物とは? 
・練習や試合においての野村克也の考え、指示とは? 
・野村克也の「ミーティング術」 
・監督の捕手論、投球術、打撃術、などの野球理論とは? 
・組織作り、育成術まで「野村の考え」とは? 
・12年間にわたって、野村監督の教えを受けてきたからこそ知っている「野村再生工場」の極意とは? 
・選手たちへの影響、その結果とは? 
・自身も学んで分かった「アスリートにとって重要なこととは?」 
・これからの世代に伝えたいこと。
      ◎経 歴
      安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手に転向。主に守備固めや代打のほか、左投手のときにはスタメンや代打で登場することが多かった。 
 1992年に、自己最多出場。日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とラッキーボーイ的存在になり活躍した。96年オフにトレードで日本ハムファイターズへ移籍。 
 1998年、小笠原道大と共に左右の代打の切り札として活躍。日本ハム時代の応援歌は森範行の流用で、退団後の2000年からはチャンステーマとして使用されている。 
 2000年10月22日に、阪神の監督に就任していた野村克也に請われ、阪神タイガースへ移籍。同年、現役を引退した。 
 引退後、現役時代から副業でやっていたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。 
 2005年、新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村克也の監督招聘を計画していた為、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していた。その為、二軍外野守備・走塁コーチに就任。シーズン途中に一軍外野守備・走塁コーチに昇格、2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。 
 2009年に、野村の退任と同時に楽天を退団。 
 楽天コーチ退任後は、日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載するなど野球評論家として活動しつつ、2010年にはスカイ・エー楽天キャンプわしづかみで数回解説者として出演。シーズン中のスカイ・Aスタジアム楽天戦の野球解説者も務めた。 
 2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。チーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、2011年限りで退団。 
 同年11月1日、読売ジャイアンツの一軍戦略コーチに就任。当時のゼネラルマネージャー
清武英利の肝煎りで設立された戦略室の中心となる。同年には、野球日本代表の戦略コーチも務めた。 
 2014年より一軍打撃コーチに転任。3連覇に貢献した。同年シーズン終了後、球団を退団。 
 同年10月29日、楽天のヘッドコーチに復帰。2015年シーズン最終戦終了後に退団。 
 2015年10月13日に2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍作戦コーチに就任。
2017年からは、一軍野手総合コーチ(ヘッドコーチ格)に就任た。2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後、辞任。 
 2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任。1996年以来26年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団を発表
【主な経歴】 
選手歴 
 ・東京ヤクルトスワローズ(1984-1996) 
 ・北海道日本ハムファイターズ(1997-1999) 
 ・阪神タイガース(2000) 
 
監督・コーチ歴 
 ・東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 - 2009) 
 ・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ (2011) 
 ・読売ジャイアンツ (2012 - 2014) 
 ・東北楽天ゴールデンイーグルス (2015) 
 ・埼玉西武ライオンズ (2016 - 2018) 
 ・東京ヤクルトスワローズ (2019)
      ◎橋上秀樹の著書
      
      
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