攝津正
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◎演 題
◆ 「『努力の天才』で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~」
ソフトバンクホークスのエースとして沢村賞、WBC日本代表など球界を代表する
数々の実績を上げた攝津正。だが、決して「エリート」、「天才型」ではなく、工夫して
考え抜いた地道な努力からそこに上り詰めた。
「30歳になったら社員で働こうと思っていた」と言うJR東日本時代は何度もドラフト
会議で指名を見送られ、結局プロ入りしたのは26歳と遅咲き。
しかし、入団一年目から12球団随一の選手層の厚さのソフトバンクの中において
中継ぎとして「勝利の方程式」の一員として活躍、最優秀中継ぎ賞も獲得。
その後、先発転向後も沢村賞に輝き、WBC日本代表 にも選ばれ、球界を代表する
投手に成長した。
その後、決して恵まれた体格、才能ではない 子供の頃から決して「天才型」、
「エリート」ではなかった自身が、どのように目標設定やアプローチ、工夫をしたのか、
「努力の天才」になる方法をお伝えします。
◆ 「エリートではない私が最多勝、日本代表になれた方法」
◆ 「天才型じゃなくても結果は出せる~目標設定、アプローチ、努力、メンタルコントロール~」
◎経 歴
秋田経法大付属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。
高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板
機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞、2004年からエースとなる。
都市対抗野球初登板となった1回戦の日本通運戦では8回二死まで投げて2失点で東京
ドーム初勝利。
オープン戦の好成績が評価され開幕一軍入り。5月8日の対埼玉西武ライオンズ戦で、
中継ぎ投手として1回1/3を無失点に抑えプロ初勝利。ゲーム終盤で攝津、ブライアン・
ファルケンボーグ、馬原孝浩の継投で逃げ切る勝ちパターンが確立し、勝利の方程式
「SBM」と命名された。
先発として起用されるようになった2011年からの通算与四球率2.06の抜群の制球力
を誇る。コーナーをつく投球のためリリーフとして起用された2010年までは与四球率3.11
と四球が多かったが、逆球率は5パーセント弱と低かった。選手からも制球力の評価が
高く、2011年の『すぽると!』で放送された、プロ野球選手100人が選んだ「この選手が
すごい!コントロール部門」では3位に選ばれた。ソフトバンク球団会長の王貞治をして
「メジャーでも即通用する投手」として名を挙げられている。
【現役引退後】
2019年からは野球解説者として活動する。これまで福岡放送やTwellV(副音声)のゲスト解説者として出演。その傍ら、RKBラジオの『攝津正のつりごはん』というレギュラー番組もスタートした。
【表彰】
●沢村賞:1回(2012年)
●新人王(2009年)
●2009ゴールデン・ルーキー賞 (2009年)
●日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2009年)
●最優秀投手:1回 (2012年)
●ヤナセ・福岡ソフトバンクホークスMVP賞:1回 (2009年)
2008年度プロ野球ドラフト会議でソフトバンクから5位指名され入団。背番号は50
◎攝津正の著書
※ランクB(A50万円まで、B100万円まで、C101万円以上、Dご相談、交通費滞在費等別)